シーサケット・ソー・ルビンサイの原点はゴミ漁り

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強さの秘密

ウィサクシル・ワンゲク a.k.a シーサケット・ソー・ルンビサイ。
タイのリングネームは特殊で定かではないですが、出身?の県の名前だったと記憶しております。
ネットを徘徊していろんなところから集めてきました。

ゴロフキンの強さの秘密は生い立ちにあり
ゴロフキンの強靭な肉体とあの屈強な精神はどこから生まれてきたのか。 ゴロフキンの生い立ち、人柄を調べてみました。 ゴロフキンの生い立ち ゴロフキンの物語は1990年代中央アジア、カラガンダから始まります。 1991年...

ローマン・ゴンザレス撃破の衝撃

PFPキング、ローマン・ゴンザレスとの試合が決まった時、メディアは彼を散々こき下ろしました。

それもそのはずで世界王者であったとは言え、三流のタイ人ばかりで築いてきた戦績は信頼に値せず、PFPキングのゴンザレスが一方的に彼を料理するミスマッチだと報道されていました。

しかし日本人王者佐藤洋太からベルトを奪った試合を目撃したごく一部のファンだけは彼の危険さを認識していました。

実際に試合が始まると驚異的な破壊力と打たれ強さ、無尽蔵のスタミナを見せつけ大方の下馬評を覆し、PFPキングの座からゴンザレスを引きずり下ろしました。
しかし、それでもボクシング界は彼の強さを認めようとしませんでした。

PFPキングに勝利したあともそのランキングに名を連ねることはありません。
そして遂に納得の行かないボクシング界はゴンザレスとの再戦を命ずるのです。
口々に「あれは判定がおかしい」「レフェリーがバッティングを減点しなかった。」実際に彼の強さを体感したゴンザレスでさえも「あの判定には納得がいかない」と発言する始末です。

ボクシング界の目を覚まさせる一撃

そして迎えた再戦は衝撃的なものでした。
今回もワンゲクはその破壊力を遺憾なく発揮し、4回にダウンを2度奪い、2度目のダウンのパンチではゴンザレスの意識を完全に遮断、失神させました。

PFPキングを2度打ち破り、力を証明したワンゲクに対してメディアは掌を返します。
それまでこき下ろした彼の力を評価し始めたのです。

そしてゴンザレスを打ち破りスーパーフライ級最強を証明する時が来ました。

アウェイ、大ブーイング、全てを跳ね返す精神力

スーパーフライ級トーナメントを勝ち上がった2階級制覇のメキシコ人、ファン・フランシスコ・エストラーダとの対戦です。
入場から大ブーイングの完全にアウェイの会場で、悪役として登場してきた彼はこのエストラーダをも返り討ちにしました。

奇しくも4年前クアドラス奪われたそのベルトは又しても彼のその手に帰ってきたのです。

ウィサクシル・ワンゲクの生い立ち

驚くかもしれまんが、彼は1勝3敗からキャリアをスタートさせたのです。
そして日本人世界王者の八重樫東のデビュー戦のかませ犬として日本へやってきていた過去があります。

45勝40KO4敗という全階級を見ても驚異的な戦績、そしてその強靭な肉体と精神はどのように作られたのでしょうか。

1勝3敗 ワンゲクのスタート地点

1986年。
彼はムエタイ一家に生を受けました。
ワンゲクは謙虚な両親の元、謙虚に育てられました。
しかし常に食べ物の心配を欠くことはありませんでした。

そのためワンゲクが働き始めたのは6歳の頃、雀の涙ほどの小銭を求めて村のムエタイ大会に出場するようになりました。
その少ない小銭ですら家族を助けたのです。

13歳になったワンゲクはより良い生活と未来を求めてガールフレンドとバンコクへ移り住みました。

ワンゲクはバンコクで仕事を得るために100キロの道のりを歩く必要がありました。
その長い道中で食べ物を買う小銭すら持っていない彼はデパートのゴミを漁りゴミを食べました。

バンコクでもワンゲクはその先により良い未来と少しのお金があると信じ続けました。
しかしその道のりは大変なものでした。
朝から晩まで働き、その後はゴミを漁り食べ物を手に入れる。生きるためです。

休日だけが心まる時間です。
僅かに残されたお金でご馳走のカップヌードルを買って楽しむのです。
と言っても彼のほとんどはガールフレンドにあげてしまいます。

時にワンゲクは小さな大会で戦いました。
その時の彼は格闘一家であることを忘れようとしました。
より良い未来のためにこの事実は心に閉まって置くほうがいいと思っていたのです。

しかし彼に燻っていた思いに火がつきました。
ある朝、目が覚めると街の小さなボクシングジムへ向かっていました。
その時に彼のボクシングキャリアは始まったのです。

上記のにあるようにワンゲクは日本でデビューを果たしました。
相手は世界チャンピオン候補の八重樫東です。
結果は3ラウンドKO負けでした。

それでもワンゲクは諦めず、強くなる方法を模索しました。
そしてそれは実を結び始めるのに長くはかかりませんでした。

彼の勇気や戦士としての能力をプロモーターやコーチは見出し始め、有力プロモーターと契約するに至ります。

負けを何度も繰り返して、それでもボクシングに全てを捧げることで少しづつ分かって来たのです。
破壊力を生むパンチの打ち方、苦しいときに立て直す方法、勝つために必要な鉄のように固いの信念。

長時間労働やゴミを漁りその日の食べ物を探した経験、その日を生きるために心を殺して戦い続けた日々がワンゲクのボクシングへの愛を深くさせたのかもしれません。

どんなに苦しい時でも彼は前進をやめません。
ボクシングへの愛と貧しい少年時代の記憶が彼の背中を支えているのでしょう。

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